私は、小中学校でスクールカウンセラーをしていると同時に、厚生労働省労働局雇用均等室でセクハラ対策の仕事もしています。
学校で子供にかかわる相談と、労働問題の中のセクハラに特化した相談を受けるのが仕事であるわけです。
二つの仕事は別々の性格をもった別の仕事と思われて、「大変ですね」と声をかけられますが、私に取っては、実はそんなに変わらない仕事なんです。
どんなところが同じかと言うと、やはりどちらも”生きる”という根源的な問題がいつもあるということなんです。
人間というものは、生きていくためには何でもするイキモノのようで、セクハラも不登校も同じように生きるということを無視しては、語れない問題だと思うのです。
生きるということは、普段は忘れがちなんですが、日常とはきっても切れないものですよね。
生きることに不安になると、生産的な行動は一番後回しになるので、当座の不安を補償することに気持ちが集中してしまうようです。
学校へ行かなくなった子供たちの問題を見ると、何かしらの不安があります。
あさごはんを食べないで学校へ行かせてしまう日常があるとしたら、現実的にもエネルギーが摂取できませんが、心的エネルギーも補えず不安がほこりのように積もるといえば、なんとなく理解してもらえるでしょうか。
セクハラ・パワハラは、でコミュニケーションの問題ばかりではなく、雇用や環境の問題も背景にあります。つまり、安心して働けるということが、セクハラやパワハラの鍵になってくると思います。
”安心して生きていける”
これが、子供の成長ばかりではなく、社会に生きる私たちの仕事においても重要なポイントになっていくんですね。